シオンにて
トキワジム。
山を下りてから、ぼくはここに通うようになった。
一日一回、戦う。
引き分ける。
追い出される。
それの繰り返し。
ひと月くらいそれを繰り返しただろうか。
いつものように勝負が終わったあと、グリーンがふいに口を開いた。
「なあ。おまえ、ハナダの洞窟にいたやつ、捕まえてるんだよな」
ミュウツーのことだろう。
グリーンに言った覚えはないけれど、博士から聞いたんだろうか。
ぼくがうなずくと、グリーンはちょっと考えるそぶりをした。
「どうせヒマだろ?…おまえさ、シオンのフジじいさんのとこ行って、捕まえたって報告してこいよ」
「……?」
「……たぶん気にしてるだろうから。安心させてやれよ」
たしかに、グレン島で起きたことを考えれば、報告してあげたほうがいいかもしれない。
グリーンに言われるまで、思い当たりもしなかった。
言われたことは理解できたけど、なんでグリーンがそれをぼくに今言ったのかが、妙にひっかかった。
「……行くけど、なんで急に?」
「……ヒマそうだからだよ」
そう言って、グリーンはぼくをジムから追い出した。
説明する気はないみたいだった。
諦めて、ぼくはその足でシオンへと向かった。
◆
シオンタウンは記憶にある町とは少し違っていた。
ポケモンタワーはラジオ局になっていて、新しい建物も増えている。
なんとなく雰囲気が明るくなった気がした。
それでも、足を止めると、どこかに静けさが残っている。
騒がしい町じゃない。
記憶をたどりながら、フジじいさんを探し歩いた。
町の人に聞いて、花に囲まれた建物の中に入った。
建物の奥、日差しが差し込む窓のそばに、その人は立っていた。
足音に気づいて振り返ったフジじいさんに、軽く会釈をする。
「……戻られてたんですね」
フジじいさんは一瞬目を丸くしたあと、穏やかな声でそう言った。
ぼくが行方不明だったことは、ここにも届いていたらしい。
うなずくと、「良かったです」とフジじいさんは何度もうなずいていた。
どこへ行っていたのか。
どうしていなくなったのか。
そういうことは、何も聞かれなかった。
何を追及されるわけでもない。
ただ「戻ってきてよかった」と何度も言われて、ぼくはだんだん居たたまれなくなってきた。
ぼくはその居心地の悪さをごまかすように図鑑を取り出した。
ミュウツーのページを開いて、捕まえたことを伝える。
「もしかして、伝えにきてくれたんですか?」
またうなずく。図鑑をしまって、代わりにミュウツーが入っているボールを取り出した。
フジじいさんは、それを目を細めて見つめた。
「……生きていたんですね。……よく捕まえてくれました」
「……強かった」
三年前に捕まえたときのことを、今も思い出せる。
暗い水音。
湿った空気。
奥からこちらを見ていた、強すぎる気配。
あれは、死闘だった。
その時のことを思い出していると、フジじいさんが静かに涙を流していた。
慌ててボールをしまい、そばに駈け寄った。
「……ああ、ごめんなさい。安心して、思わず。ありがとう」
背中をさすると、フジじいさんは繰り返しありがとうと言った。
ありがとう。
ありがとう。
その言葉を聞くたびに、胸の奥に重いものが溜まっていく。
この人は、待っていたんだろう。
ミュウツーがどうなったのか。
生きていたのか。
もう苦しんでいないのか。
それを、ずっと。
それなのに、ぼくは三年も待たせた。
もっと早く来られたはずだった。
ちょっと考えれば、わかったはずだった。
「……ごめんなさい、……ほんとはもっと、ずっと早く来れた」
声に出すと、余計にその重さがはっきりした。
あの時のぼくは、自分のことしか考えていなかった。
自分の都合で山にいて、その間、この人を待たせていた。
三年。
三年、待たせた。
「謝らないでください。……誰しも戻れない事情のひとつやふたつ、あるものでしょう?」
肩に手が置かれて、現実に戻ってきた。
フジじいさんは泣き止んでいて、代わりにぼくが泣いていた。
「……どうしよう、ぼく、謝らなきゃ」
口に出してから、誰に、と考えた。
考えるまでもなかった。
まだ、謝れてない人がいる。
だって、待ってたって言わなかったから。
怒ってるとも言わなかったから。
「レッドくん」
フジじいさんの声が、静かに響いた。
「謝りたい人が、いるんですね」
「……うん」
「……三年、待たせてた」
言葉にするたび、こめかみに力が入った。
「なのに、なにも言われなかった」
「だから、謝れなかった」
母さんたちみたいに怒ってくれればよかった。そうしたら謝れた。
待ってたって言ってくれればよかった。そうしたらごめんって言えた。
けれど、何も言われなかった。
言わせてもらえなかったんだと、気づいた。
「……どうしよう」
どうしようもない。全部自分が蒔いた種だ。
フジじいさんは、しばらく黙っていた。
窓の外で、花が小さく揺れている。
やがて、彼はぽつりと話し始めた。
「レッドくん、私も昔、姿を消したことがありました」
「きみよりひどいです。何十年と、姿を消していました」
フジじいさんは、どこか遠くを見るように目を細めた。
「それでも、待ってくれていた人がいました。私は謝りました。……いや、謝らせてもらえたというほうが、近いのかもしれません」
謝らせてもらえた。
その言葉が、妙に耳に残った。
「謝ることは、大切です。けれど、謝れることは、ありがたいことでもあります」
フジじいさんは、ゆっくりと建物の中を見渡した。
ぼくもつられて顔を上げる。
花。
窓辺。
静かに祈るための場所。
フジじいさんは、それを大切そうに見つめていた。
「一度離れた人間が、また同じ場所に立つには、言葉だけでは足りないこともあるのでしょう」
「……言葉だけじゃ、足りない」
「ええ」
フジじいさんはうなずいた。
「私はシオンタウンに来て、いろんな人たちと、ポケモンの弔いをしてきました」
「私にしかできないことが、ここにはたくさんありました」
「君も、君にしかできないことを、見つけるといいのかもしれませんね」
フジじいさんは、こちらを見て穏やかに笑った。
ぼくにしかできないこと。
グリーンじゃできないこと。
その言葉を、胸の中で何度か繰り返した。
◆
「ぼく、旅に出る」
シオンタウンから戻ったあと、仕事終わりのグリーンを捕まえてそう告げた。
空はもう夕方で、トキワの町は薄い橙色に染まっていた。
ジムの裏口から出てきたグリーンは、こちらを見ても驚かなかった。
帰り道で考えた、ぼくにしかできないこと。
「先に行って、見てくる」
ジムに縛られたグリーンじゃ、できないこと。
むかし、グリーンが先にやっていたこと。
ぼくが、ずっと追いかけていたこと。
「色々見てくる」
先に行って見てくる。
グリーンが迷わないように。
いつかグリーンが旅に出たとき、道標になれるように。
これは、今のぼくにしかできない。
「……次は勝つよ」
言ってから、自分でもわかった。
本当は、ずっと気づいていた。
勝ってしまったら終わるんじゃないかと思って、ずっと引き分けにしてきたこと。
グリーンも、それを分かっていたこと。
でも、もう終わりにしなきゃいけない。
終わらせるためじゃない。
次に進むために。
「……そうかよ」
グリーンはこちらを向かなかった。
ただ、そこに立ち止まって、家の方角を見ている。
その横顔からは、何を考えているのかよくわからなかった。
ぼくはゆっくりとグリーンの前に回った。
カバンからバッジケースを取り出す。
緑色のバッジに手を伸ばす。
返そうと思った。
けれど、ぼくより先に、グリーンの手がそれをつまみ上げた。
「じゃあ、これはオレのだな」
「……」
「勝ったら返してやるよ」
グリーンはわざとらしくバッジを空にかざした。
夕方の光を受けて、緑色が小さく光る。
それを自分の上着の内ポケットにつけると、満足げに笑った。
「早く帰るぞ。夕飯なくなる」
そう言って、グリーンはぼくの横を抜けて家の方へ走り出した。
謝らせてはもらえなかった。
でも、受け取ってはもらえた。
あとは、勝つだけだ。
ぼくは少し前を走るグリーンを追いかけて、地面を蹴った。畳む