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シオンにて

シオンにて



トキワジム。
山を下りてから、ぼくはここに通うようになった。

一日一回、戦う。
引き分ける。
追い出される。
それの繰り返し。

ひと月くらいそれを繰り返しただろうか。
いつものように勝負が終わったあと、グリーンがふいに口を開いた。

「なあ。おまえ、ハナダの洞窟にいたやつ、捕まえてるんだよな」

ミュウツーのことだろう。
グリーンに言った覚えはないけれど、博士から聞いたんだろうか。
ぼくがうなずくと、グリーンはちょっと考えるそぶりをした。

「どうせヒマだろ?…おまえさ、シオンのフジじいさんのとこ行って、捕まえたって報告してこいよ」

「……?」

「……たぶん気にしてるだろうから。安心させてやれよ」

たしかに、グレン島で起きたことを考えれば、報告してあげたほうがいいかもしれない。
グリーンに言われるまで、思い当たりもしなかった。
言われたことは理解できたけど、なんでグリーンがそれをぼくに今言ったのかが、妙にひっかかった。

「……行くけど、なんで急に?」

「……ヒマそうだからだよ」

そう言って、グリーンはぼくをジムから追い出した。
説明する気はないみたいだった。
諦めて、ぼくはその足でシオンへと向かった。





シオンタウンは記憶にある町とは少し違っていた。
ポケモンタワーはラジオ局になっていて、新しい建物も増えている。
なんとなく雰囲気が明るくなった気がした。

それでも、足を止めると、どこかに静けさが残っている。
騒がしい町じゃない。
記憶をたどりながら、フジじいさんを探し歩いた。

町の人に聞いて、花に囲まれた建物の中に入った。
建物の奥、日差しが差し込む窓のそばに、その人は立っていた。
足音に気づいて振り返ったフジじいさんに、軽く会釈をする。

「……戻られてたんですね」

フジじいさんは一瞬目を丸くしたあと、穏やかな声でそう言った。
ぼくが行方不明だったことは、ここにも届いていたらしい。
うなずくと、「良かったです」とフジじいさんは何度もうなずいていた。

どこへ行っていたのか。
どうしていなくなったのか。

そういうことは、何も聞かれなかった。
何を追及されるわけでもない。
ただ「戻ってきてよかった」と何度も言われて、ぼくはだんだん居たたまれなくなってきた。

ぼくはその居心地の悪さをごまかすように図鑑を取り出した。
ミュウツーのページを開いて、捕まえたことを伝える。

「もしかして、伝えにきてくれたんですか?」

またうなずく。図鑑をしまって、代わりにミュウツーが入っているボールを取り出した。
フジじいさんは、それを目を細めて見つめた。

「……生きていたんですね。……よく捕まえてくれました」

「……強かった」

三年前に捕まえたときのことを、今も思い出せる。

暗い水音。
湿った空気。
奥からこちらを見ていた、強すぎる気配。

あれは、死闘だった。
その時のことを思い出していると、フジじいさんが静かに涙を流していた。
慌ててボールをしまい、そばに駈け寄った。

「……ああ、ごめんなさい。安心して、思わず。ありがとう」

背中をさすると、フジじいさんは繰り返しありがとうと言った。

ありがとう。
ありがとう。

その言葉を聞くたびに、胸の奥に重いものが溜まっていく。

この人は、待っていたんだろう。
ミュウツーがどうなったのか。
生きていたのか。
もう苦しんでいないのか。
それを、ずっと。

それなのに、ぼくは三年も待たせた。
もっと早く来られたはずだった。
ちょっと考えれば、わかったはずだった。

「……ごめんなさい、……ほんとはもっと、ずっと早く来れた」

声に出すと、余計にその重さがはっきりした。

あの時のぼくは、自分のことしか考えていなかった。
自分の都合で山にいて、その間、この人を待たせていた。

三年。

三年、待たせた。

「謝らないでください。……誰しも戻れない事情のひとつやふたつ、あるものでしょう?」

肩に手が置かれて、現実に戻ってきた。
フジじいさんは泣き止んでいて、代わりにぼくが泣いていた。

「……どうしよう、ぼく、謝らなきゃ」

口に出してから、誰に、と考えた。
考えるまでもなかった。

まだ、謝れてない人がいる。
だって、待ってたって言わなかったから。
怒ってるとも言わなかったから。

「レッドくん」

フジじいさんの声が、静かに響いた。

「謝りたい人が、いるんですね」

「……うん」

「……三年、待たせてた」

言葉にするたび、こめかみに力が入った。

「なのに、なにも言われなかった」

「だから、謝れなかった」

母さんたちみたいに怒ってくれればよかった。そうしたら謝れた。
待ってたって言ってくれればよかった。そうしたらごめんって言えた。

けれど、何も言われなかった。

言わせてもらえなかったんだと、気づいた。

「……どうしよう」

どうしようもない。全部自分が蒔いた種だ。

フジじいさんは、しばらく黙っていた。
窓の外で、花が小さく揺れている。

やがて、彼はぽつりと話し始めた。

「レッドくん、私も昔、姿を消したことがありました」

「きみよりひどいです。何十年と、姿を消していました」

フジじいさんは、どこか遠くを見るように目を細めた。

「それでも、待ってくれていた人がいました。私は謝りました。……いや、謝らせてもらえたというほうが、近いのかもしれません」

謝らせてもらえた。
その言葉が、妙に耳に残った。

「謝ることは、大切です。けれど、謝れることは、ありがたいことでもあります」

フジじいさんは、ゆっくりと建物の中を見渡した。
ぼくもつられて顔を上げる。
花。
窓辺。
静かに祈るための場所。
フジじいさんは、それを大切そうに見つめていた。

「一度離れた人間が、また同じ場所に立つには、言葉だけでは足りないこともあるのでしょう」

「……言葉だけじゃ、足りない」

「ええ」

フジじいさんはうなずいた。

「私はシオンタウンに来て、いろんな人たちと、ポケモンの弔いをしてきました」

「私にしかできないことが、ここにはたくさんありました」

「君も、君にしかできないことを、見つけるといいのかもしれませんね」

フジじいさんは、こちらを見て穏やかに笑った。

ぼくにしかできないこと。
グリーンじゃできないこと。
その言葉を、胸の中で何度か繰り返した。





「ぼく、旅に出る」

シオンタウンから戻ったあと、仕事終わりのグリーンを捕まえてそう告げた。
空はもう夕方で、トキワの町は薄い橙色に染まっていた。
ジムの裏口から出てきたグリーンは、こちらを見ても驚かなかった。

帰り道で考えた、ぼくにしかできないこと。

「先に行って、見てくる」

ジムに縛られたグリーンじゃ、できないこと。
むかし、グリーンが先にやっていたこと。
ぼくが、ずっと追いかけていたこと。

「色々見てくる」

先に行って見てくる。
グリーンが迷わないように。
いつかグリーンが旅に出たとき、道標になれるように。
これは、今のぼくにしかできない。

「……次は勝つよ」

言ってから、自分でもわかった。

本当は、ずっと気づいていた。
勝ってしまったら終わるんじゃないかと思って、ずっと引き分けにしてきたこと。
グリーンも、それを分かっていたこと。
でも、もう終わりにしなきゃいけない。

終わらせるためじゃない。
次に進むために。

「……そうかよ」

グリーンはこちらを向かなかった。
ただ、そこに立ち止まって、家の方角を見ている。
その横顔からは、何を考えているのかよくわからなかった。

ぼくはゆっくりとグリーンの前に回った。
カバンからバッジケースを取り出す。

緑色のバッジに手を伸ばす。
返そうと思った。

けれど、ぼくより先に、グリーンの手がそれをつまみ上げた。

「じゃあ、これはオレのだな」

「……」

「勝ったら返してやるよ」

グリーンはわざとらしくバッジを空にかざした。
夕方の光を受けて、緑色が小さく光る。
それを自分の上着の内ポケットにつけると、満足げに笑った。

「早く帰るぞ。夕飯なくなる」

そう言って、グリーンはぼくの横を抜けて家の方へ走り出した。

謝らせてはもらえなかった。
でも、受け取ってはもらえた。

あとは、勝つだけだ。

ぼくは少し前を走るグリーンを追いかけて、地面を蹴った。畳む

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グレン島にて

グレン島にて


トキワジムを引き継いで、三年が経った。

その間、休みらしい休みはほとんど取っていなかった。
取れなかったわけじゃない。取らなかっただけだ。

ジムに行けば、やることはある。
挑戦者の相手。ジムトレーナーの育成。設備の点検。リーグへの報告書。町の会合。
面倒なことはいくらでもあったし、面倒なことがあるのは悪くなかった。

何かしていれば、余計なことを考えずに済む。

だから、ある日リーグから「溜まっている休暇を消化するように」と通達が来たとき、オレは心底困った。
急に休めと言われても困る。

翌日、いつも通りジムに顔を出したら、入口でジムトレーナーに止められた。

「リーダー、入っちゃダメですよ!」
「なんでだよ」
「休暇中だからです」

受付からわざわざ出てきて、オレの前に立ちはだかる。
横を通ろうとすると、露骨に通せんぼをされた。

「いや、ちょっと見るだけだって」
「ダメです。ナナミさんにも言われてます」
「姉ちゃん関係ねえだろ」
「関係あります」

ずいぶん強くなったもんだな、と思った。
育てたのはオレだ。文句は言えない。

結局、トキワジム立ち入り禁止令は解除されなかった。
適当にジムの執務室で時間をつぶそうと思っていたオレは、休暇初日から行くところがなくなった。

裏口からの侵入も当然のように阻止されたので、仕方なくその場を離れる。

家に戻るのも違う。
研究所に行けば、じいさんに捕まる。
リーグに顔を出せば、ワタルあたりに笑われる。

いろいろ考えた結果、グレン島に来た。

トキワからそこまで離れていなくて、かつ、人の目がほぼないところ。
ちょっと前に火山が噴いて、町ごとなくなった島。

波の音だけがしていた。

島の中腹に立ち、ぐるりと見渡す。
風が吹くたびに、細かい灰が足元を滑っていく。

何もなかった。

ジムも、研究所も、店も、荒れた屋敷も。
全部、溶岩に持っていかれてしまった。

ポケモンセンターだけが、かろうじて補給用に再建されている。
それ以外は、ほとんど手つかずだった。

本当に、何もない。

しばらく歩いてみた。
昔の道だったもの。建物の跡らしきもの。黒く固まった地面。波に削られて、少しずつ形を変えている海岸線。

どこを見ても、ここに町があったという実感が薄かった。
むしろ、最初から何もなかった場所みたいに見えた。





半日ほど島をうろついて、さすがに飽きた。

やることがなくなると、ろくでもないことを考える。
それが分かっていたから、オレは海を渡って、近くのふたごじまへ向かった。

洞窟の中は、外よりずっと涼しかった。
岩肌を伝う水の音がしている。
道なりに進んでいくと、白いハットを被った人物が見えた。

「よお。なんか手伝えることある?」

少し離れたところから声をかけると、その人物、カツラは振り返って目を丸くした。

「んん?…トキワのリーダーか!久しいな!なんでまた、こんなところにおる」

被っていた帽子を少し上げ、こちらをしっかりと確認したカツラは、こちらに向かって歩いてきた。

「別に。なんとなく」

適当に返すと、カツラは帽子を軽く傾ける。

「なんとなくで来る場所ではないぞ、ここは」

「いいだろ、なんとなくだよ。で?なんかねーの?…暇すぎて死にそうなんだよ」

カツラは眉を上げ、すぐに困ったように笑った。

「ううむ。とはいっても、おまえさん休暇中だろう。働かせたら、わしが怒られる」

休暇の事、ここなら知られてないかなというオレの読みは見事打ち砕かれた。
こんな場所でもちゃんと情報が届いているらしい、という失礼な考えを奥に引っ込めて、交渉を続ける。

「ボランティアだよ、ボランティア。それに、あんたが言わなきゃバレっこねーだろ」

「そういう問題ではない」

「書類整理くらいあるだろ。やるって言ってんだから、やらせときゃいいんだよ」

「少年よ。休める時に休むこともまた、大事な修行でな」

「あー、そういうのいいって」

「……おまえさん」

やり取りの最中、カツラが目を細めた。

「さては、考えたくないことがあるな?」

一瞬、返事が遅れた。

「……なんの話だよ」

「いいだろう」

カツラは、それ以上追及しなかった。
代わりに背を向け、洞窟内の奥を手で指し示した。

「わしもちょうど休憩しようと思っていたところだ。少し付き合いなさい」

「……説教ならごめんだぜ」

「説教なんてせんよ。ただの休憩だ」

「なおさらごめんだ。オレは茶を飲みに来たんじゃねえの」

「分かっとる。話し相手も立派な仕事だろう?」

「仕事って言ったな、今」

「言葉のあやだ!」

カツラは豪快に笑うと、そのまま奥へと歩き出した。
他にやることもないので、それについて行く。




通されたのは、洞窟の中に作られた簡単な居住スペースだった。
机と椅子。棚。書類の束。地図。古い写真立て。
暮らすには足りないが、居座るには十分な場所だった。

カツラは慣れた手つきで茶を淹れた。
差し出された湯呑みを受け取る。

湯気が、洞窟の冷えた空気に立ち昇って消えていく。

「……なあ。オレ、ほんとに茶飲みに来たんじゃねえんだけど」

「まあ聞きなさい。わしの話相手になるのが、おまえさんの今のやることだ」

「……」

反論する気も失せて、湯呑みに口をつける。
熱かった。
少し冷ましてから飲もうと思い、湯呑みを机に置いた。
カツラはゆっくりと対面に座り、自分の分の湯呑みに口をつけていた。

湯気が完全に消えたのを見て、また口をつける。
それと同時に、カツラはゆっくりと話し始めた。

「何もない場所を見に来る人間は、たいてい、何かを見ないようにしておる」

図星だった。
何を言っても余計なことのように思えて、そのままお茶をちびちびと飲み続ける。
カツラは、少しだけ遠くを見るような顔をした。

「むかしの話だ。わしには、古くからの友がおった」

その声は、普段の暑苦しい声より、だいぶ静かだった。

「ともに研究をし、寝る間を惜しんで議論をするような、そんな友がおった。わしと友は、別々の研究をしておったがな。それでも、よく話した。互いの研究のこと。これからのこと。つまらん失敗のことも、よく笑い合った」

カツラは湯呑みを両手で包み込む。

「友は、自分の研究がうまくいっていると喜んでおった。あれは、たしかに偉大な研究だった」

「…だが、まだ、わしらには早すぎた」

聞いたことのある話だった。
直接聞いたわけじゃない。
でも、グレンの屋敷に残された記録を読めば、だいたい察しはつく。

「研究によって、制御できない力を生み出してしまった友は、それを一人でなんとかしようとして、わしらの前から姿を消した」

カツラは、ほんの少し笑った。

「わしには、何も言ってくれんかった」

何も言わなかった人間の話。
姿を消した人間の話。

湯呑みの中の水面が、わずかに揺れた。
自分の指が動いたのだと、少し遅れて気づいた。

「分かっとる。わしに言ったところで、事態はなんも変わらんかった。姿を消す人間が、もう一人増えただけだったかもしれん」

「……」

「それでもな」

カツラは、目を伏せた。

「言ってほしかったとは、思っておる」

洞窟の奥で、何度か水の落ちる音がした。
水面が、また揺れている。

「わしは必死に探した。だが、見つからなんだ。何年もな」

水面は揺れ続けている。
カツラの方を見上げるのが怖かった。
相槌も打たずに黙っていると、カツラが湯呑みを机の上に置く音がした。
反射で目を上げると、カツラは少しだけ口元をゆるめていた。

「それでも、諦めきれんかった。帰ってくるかもしれんと思って、グレンの屋敷だけは守っとった」

カツラの視線が、遠くなる。

「今は、それもなくなってしまったがの」

そう言い終わってから、カツラはゆっくりと席を立った。
棚の上に置かれていた写真立てを手に取る。

「…この人だ」

差し出された写真を覗き込む。
少し煤けた、古い写真だった。
何人もの人と、ポケモンが写っている。その中心に、カツラと、穏やかに笑っている老人。
見覚えがあった。

「……おい、この人」

思わず立ち上がる。

「そうだ。今はシオンにおる」

「フジ老人、だよな」

「そうだ」

カツラはうなずいた。

「見つけたときの写真だ」

「……会ったのかよ」

「会ったぞ。ものすごく謝られた」

「……まあ、そうなるよな」

言われなくても分かる。
謝る側の気持ちは、分かりすぎるくらい分かる。
謝られる側の気持ちは、たぶん、もっと面倒くさい。

オレはもう一度、写真を見た。
写真の中のフジ老人は、シオンで見る顔より少し若い。
隣にいるカツラも、今より少し若かった。

「……あのさ」

「うむ?」

「なんで、まだグレンにいんの」

カツラは黙ってこちらを見た。

「もう、残したいものも…その、消えちまってるだろ。だったら、シオンに行けばよかったじゃん」

「ううむ」

カツラは困ったように笑った。

「わしも、そうしようかと思ったことはある」

そう言って、カツラは腕を組んで少し黙った。
しばらくして、斜め上を見ていたカツラは、ゆっくりとこちらを見て言った。

「でもな。もしもフジが、ほんの一度でも戻りたいと思ったときに、なんもなくては寂しいではないか?」

自分に言い聞かせているみたいな声だった。
もし、あの写真に写っていた老人が帰ってきたとして、何もないあの島に何を思うんだろう。
自分の失敗のあとが消えてうれしく思うのか、さみしく思うのか。

「……戻りたいと思うかな」

そもそもの話、自分の失敗した場所を見に来たがるだろうか?
そう思ったら、思わず口からこぼれ出た。
慌ててカツラの方を見ると、カツラはこちらを見て笑っていた。

「たぶん、もう戻ってこんだろうな」

こちらが拍子抜けするくらい、あっさりとした答えだった。
思わず目を瞬かせると、カツラは声をあげて笑った。

「それでも、一度くらいは、思うかもしれん」

「……そういうもん?」

「だと、わしは思っとる」

カツラは写真立ての縁を、指で軽く撫でた。
改めて見ると、写真立てはところどころ焦げていた。
その焦げのくぼみを、カツラはゆっくりとなぞっている。

「つらい記憶もある。間違えたこともある。取り返しのつかんことも、山ほどある。だが、楽しい思い出もあるからな。ここには」

「……そうかよ」

カツラはふと、こちらを見て、それからグレン島の方角に目をやった。

「帰るかどうかは、本人が決めること。だが、戻れる場所を残すかどうかは、残った者が決められる」

その言葉に、なぜか返事ができなかった。

カツラは立ち上がり、写真立てをそっと元の場所に戻した。
それから机の脇に立てかけてあったボードをおもむろに手に取った。

「ほれ、仕事だ」

「……なんだこれ」

受け取ると、そこにはグレン島の地図が挟まれていた。
ところどころに赤い線や丸が書き込まれている。

「地質調査の仕事だ」

「さっき働かせたら怒られるって言ってただろ」

「仕事ではない。ボランティア、だ!」

「便利な言葉だな」

「見ての通り、グレンじまは荒れ果てておる。ようやく平地を確保したが、再建にはまだまだ場所が要る。そこで、平地にしやすそうな地質の場所を調べてきてほしい」

「オレにできると思ってんの?」

「できるだろう?」

「……まあ、できるけど」

「なら頼む!」

カツラは笑った。

「休暇中の少年にしか頼めん、大事なボランティアだ!」

さっきまでの湿っぽさは微塵も感じられない、いい笑顔だった。

「少年って歳じゃねえよ」

「わしから見れば、十分少年よ」

言い返そうとして、やめた。
代わりに地図に目を落とす。
何もないと思っていた島に、線が引かれている。
線が引かれると、そこはただの更地ではなくなった。

これから何かになる場所に見えた。

「……どこから見りゃいい?」

「まずは西側の海岸沿いだな。足元が脆いところがあるから、ポケモンを出して行きなさい」

「分かった」

立ち上がる。
ボードを小脇に抱えて、洞窟の出口へ向かった。
背後から、カツラの声が飛んでくる。

「グリーン!」

いつもの暑苦しい声に呼ばれて、振り返る。

「今回は見逃してやるが、休めと言われたら、上手に休むのが大人、だ!」

「……やっぱ説教じゃねえか」

「はっはっは! 年寄りの話は、だいたい説教になるものだ!」

「開き直んな」

そう言いながらも、少しだけ笑ってしまった。

洞窟を出ると、潮の匂いがした。
右手側に、オレンジに染まったグレン島が見える。

何もない島。
何もなくなった島。
それでも、地図の上には線があった。

ピジョットを出す。
風を受けて、大きく翼が広がった。

「行くぞ」

短く声をかけると、ピジョットは低く鳴いた。

空へ上がる。
眼下に、黒く固まった大地が広がる。
さっきまでただの焼け跡にしか見えなかった場所に、今は少しだけ違うものが重なって見えた。

どこから手をつけるか。
どこを残すか。
どこを、作り直せるか。

そんなことを考えている自分に気づいて、少しだけ息をついた。
上手に休むってなんだよ、と思う。

でも、まあ。
何もしないよりは、ずっといい。畳む
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ぽこあ軸 妄想文

ぽこあ軸 妄想文
妄想全部盛った。悔いはない。

◾️
日曜の昼下がり、電話が鳴った。

『よお、レッド』

「…グリーン、どうしたの?」

電話をかけてきたのは幼馴染のグリーンだった。
彼とのやりとりは、お互い電話に出れない事が多いのもあって、メールな事がほとんどだった。
そんな彼が電話をかけてきたことに少し驚きつつ、要件を聞く。

『オレさ、チャンピオンやめてじいさんの研究継ごうと思ってさ』
『だから倒しに来てくれよ』

遊びの約束をする時と同じトーンで切り出された話題に少し面食らう。僕が断るなんて微塵も思ってない声だ。
事実僕は断れなかった。僕が断ったら、別の誰かが彼を倒すだけだ。それが分かっているから断れない。
そして、彼はその事まで分かり切った上で言っている。

「……わかった。いくよ」

ため息交じりに返事をすると、電話の向こうで彼が笑う声が聞こえた。

『おー待ってるわ』

僕は電話を切って、カントーへ帰る準備を始めた。
随分と軽いやりとりだな、と他人事みたいに思った。



 
◾️
「よおーチャンピオン!
しっかりやってるか!」

「……見てわからない?」

ある日の夕方、仕事部屋に乱入してきた元チャンピオンに僕は白い目を向けた。
机の上にはありとあらゆる書類が山積みになっている。
全部広報と治安維持に関する書類だ。目を通しながらうんざりする。

彼とのチャンピオン戦は楽しかった。
グリーンの引退は決定していたので、エキシビジョンマッチのような形で大々的に行われた戦いは、僕がギリギリで勝って終わった。
まあ、そうなるようにグリーンが調節してた感が否めないけれど。
そうやって僕は久しぶりにチャンピオンの肩書きと、数多の仕事を背負うことになった。
仕事は大きく分けて2つあった。カントーの顔としての広報活動、カントーの治安維持活動。
治安維持活動はまだ良かった。見回りや、通報があった場所に向かって対処するといった活動が主だから、量の多さ以外で特に困ることはなかった。
問題は広報だ。人前での活動なんてやってこなかった僕に、急に広報をしろと言われても困る。
おそらくだいぶ減らしてくれている(多分代わりにグリーンの方に依頼が行っている)のだろうけど、それでも僕は困っていた。
今までチャンピオンだった人は、どうやってこの量をこなしていたのか本当に分かりそうにない。

「グリーン、どうやってコレこなしてたの」
「そりゃ、優秀な他のやつに丸投げだよ」

これとかこれとか、お前以外に回せるだろと、目の前の書類があっという間に仕分けられていく。
彼が手を止めた時には、僕の目の前の書類は実現可能なラインの数にまで減っていた。
完全に盲点だった。歴代のチャンピオンはこうやって仕事を振り分けてこなしていたのかと驚きの目で彼を見ると、苦笑気味に彼は笑った。

「お前一人で全部やる必要ないんだよ、もうちょい周りを頼れ」

そう言って彼は、仕分け終わった後の書類をペラペラと眺め始めた。
僕は手持ち無沙汰になって、ふと思ったままを口に出す。

「……グリーンの方はどうなの?研究所また開けるんでしょ?」

チャンピオン戦の後、彼に理由を聞いたことを思いだす。
『マサラの研究所さ、じいさん引退してから閉じっぱなしだろ』
『閉じたままなの、なんか気に食わなくてさ』
そう言って、彼は手元のボールをじっと見ていた。

僕もあの時の彼と同じように、自分のボールに目を落とす。
彼はそれを横目で見て気づいていたようだけど、特に何も言わないで続けた。

「あー、うん。まあぼちぼち。
もうすぐ開けられそうだから、そんときゃ遊びにこいよ。
まあそんなヒマねえかも知れねえけど」

彼は書類を流し見しながら僕に返答する。
つまりはヒマがないということか、と僕は遠くを仰ぎ見た。
彼はそんな僕を見て元気づけようと思ったのか、書類を持っていない方の手で背中を叩いてきた。

「ま、でも意外としっかりやってて驚いたぜ!
オレ、正直3日でやめるかなと思ってた。
やるじゃねえか」

じゃあそんなやつに譲るなよと思ったけど、口には出さない。
書類を流し見する彼をじっと見ていると、彼はある一枚で視線を止め、その書類を僕の目の前に掲げた。

「あ、これ。
お前このイベントの時、手持ちどうするんだ?」

リニア鉄道の記念式典への参加依頼だった。式典のイベントとして、僕と小さい子で勝負するらしい。
彼は、僕がちゃんと場をわきまえた選出をしているか確認したいんだろう。

「ピカチュウに頼むつもりだけど」

そういうと、呼ばれたと思ったのか部屋の隅で寝ていたピカチュウがこちらに走り寄ってきた。
それを片手で捕まえた彼は、撫でながら無神経なことを言う。

「いいじゃねえか!
お前のことだから本気の6体で挑むと思ってた!
ピカチュウに任せときゃ安心だな」

なーピカチュウ?と目の前で楽しそうにじゃれあう相棒と幼馴染が憎くてたまらない。
子ども相手に大人気ないことをするわけないだろと文句を言うと、どうだかな?とさらにピカチュウと遊び始めた幼馴染を見て、我慢の限界が来た。

「仕事の邪魔するなら帰ってくれない?」

「はいはい、邪魔して悪かったよ。
思ったよりちゃんとやってて安心したぜ」

「……君がそうさせたんだろ」

「……ま、そうだな
あ、あとお前これいい加減受けてやれよ」

彼はそう言って、懐から一枚の手紙をとりだした。

「またお前ん家のポストに入ってたぜ。取材の依頼。
……これで何通目だ?オレがジムリーダー成り立ての頃から毎月送られて来てたから…」

そういって指折り数えて、途中で面倒くさくなったらしい。
「とにかくもう何十年も依頼の手紙送ってんだぞ!
チャンピオンになったんだし、流石に受けてやれよ」

差し出された手紙を、苦々しく受け取る。
「……返事出しとく」

「おーそうしろ!
んであとこれ」

まだ何かあるのか?と彼の方に向き直ると、彼は鞄から一冊のアルバムを取り出した。

「なにこれ?……昔の写真?」

「そう。話すことに困ったらそれ使えよ」

僕が首を傾げると、彼はページをめくって一枚の写真を取り出した。
僕が初めて殿堂入りした時の写真だ。リーグ前でオーキド博士と一緒に並んでいる。

「たとえば、初めて殿堂入りした時はどうでしたか?って聞かれたら、この写真出して笑っとけよ。
そしたら相手、勝手に補完してくれっから」

彼はそうやって使い方のデモをした後、そっと写真をアルバムに戻してから僕に渡した。

「じゃ、オレ帰るわ
チャンピオン頑張れよ」

「うん、またね」

彼は片手をヒラヒラさせながら扉の向こうへ消えていった。

アルバムには僕の半生分の写真が入っていた。僕と、僕の手持ちたちの写真が隙間なく入れられている。
彼が撮ったものだろうか。その中に、彼の写真も紛れて入っていた。
意図してなのか、間違えて入ってしまったのか分からなかったそれを、少しだけ迷ってから取り出してポケットにしまった。
そのあと一通りアルバムを見た僕は、取材依頼への返事をようやく書き始めた。



 
◾️
「よお、レッド。
お前、オレに言うことあるよな?」

日曜日の昼下がり、ここオーキド研究所に訪れた僕は、何のことやらととぼけた顔をしてやった。
それが気に食わなかったらしい。研究所の玄関口で、彼は僕への小言をさらに続ける。

「おまえ!チャンピオンやめるの早すぎるだろうが!オレがせっかく譲ったのに、三ヶ月でやめるって、お前!お前なあ!」

「後任はヒビキだから大丈夫」

「お前よりしっかりやるだろうよ!
そうじゃなくて、お前まで幻呼ばわりされてんだぞ!もうちょっと頑張れただろ!」

「無理」

「…………」

彼は盛大にため息をついて、研究所の中へ立ち戻り、そのまま応接コーナーのソファへ座った。
僕も彼に引き続いて中に入って、テーブルで挟まれた対面のソファへ腰掛ける。

「あと、なんだこれ」

彼はソファの横にあった雑誌ラックから、一冊の雑誌を取り出した。
僕が取材を受けた誌面のある雑誌だ。
彼が何を言いたいかは分かっている。

「おまえ、オレの話しかしてないじゃねえか!!!」

「盛り上がったよ」

「そりゃ良かったな!
お前オレがせっかく、せっかく話のネタにってアルバム用意してやったのに、それ使わないでオレの話ばっかするって何だよ!なあ!」

「いや使ったってば」

「は?」

「アルバムの中に入ってたんだよ、君の写真。
それ使っただけ」

「…………いや、だとしても他の写真選べよ!」

「僕の勝手だろ」

「…………」

彼は盛大にため息をついて、雑誌を元に戻した。
取り合う元気もなくなったようだ。
僕はここでようやく本題に入る。

「で、今日はどこ調査行くの?」

ポケットから出したチラシをヒラヒラとさせながら、彼にお伺いを立てる。
調査ボランティア募集!と誌面には文字が踊っている。発行主はここ、オーキド研究所だ。

「……オレは確かに調査のボランティアを募集した。
でもお前みたいなやつを求めてたわけじゃない!」

「募集要項どおりでしょ、ポケモン好きで、コツコツ記録するのが好きな人」

「……あと、日中連絡がつく方って書いてんだよ!お前ちゃんと読んでねえな!」

そう言われて改めてチラシに目を通すと、小さく『トキワの森』と調査場所の記載があった。
僕は開き直り、調査の話を続ける。

「トキワの森?久しぶりに行くなあ」

「おい無視すんな!
お前さ、チャンピオンやめてボランティアって……何考えてんだ、ほんとに」

これ以上の小言は時間が勿体無いなと思った僕は、彼が用意しているであろう調査用の装備をソファから立ち上がって探し始めた。
目当てのものはすぐに見つかった。研究所奥の机の上に一式用意されていた。
マッピング用のボード、あなぬけのひも、双眼鏡。他、いざという時の薬類。
それを抱えて持ち出そうとすると、彼は諦めたようにぶつくさ言いながら、用意されていたもう一つのボードを持って出口へと歩いて行く。

「お前、勝手なことしたら置いていくからな」

そう言って、置いていった試しがないじゃないか。
扉口に突っ立って、こちらをじろりと見てくる彼を見て、そう思う。

「いいよ。勝手についてくから」

ぼくたちは調査道具を持って、研究所から飛び出した。

終わり
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ハンガーストライキ

ハンガーストライキ


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やまごもりの理由がライバル由来だったらいいなって妄想の話。
そのうち漫画になる。

彼がチャンピオンにこだわる理由が、ぼくにはちっともわからなかった。
あんな誰も来ない場所でずっと一人で待っているのの何が楽しいんだろうか。
そんなものなんかより、外に出てまだ捕まえていないポケモンを探す方が楽しいよと、そう伝えたいだけなのに、彼は一向に聞こうともしない。
話を聞いてもらうために今日も勝負に勝つ。彼は聞く耳も持たず走り去る。
これの繰り返し。
このやりとりを両手じゃ数えきれないくらい繰り返したころには、四天王のみんなにもまた来たかって少し迷惑そうに言われるようになってしまった。
おそらくぼくの前に挑んでいる彼も言われている。
ぼくが諦めるか、彼が諦めるか。もはやチャンピオンの座をかけての勝負ではなくなりかけた、そんなある日。

いつものようにリーグに行き、チャンピオンの間まで足を進めると、いつもならそこにいるはずの彼がその場にいなかった。
どういうこと?とあたりを見回していると、自分の後ろ―四天王の間の方から、カツカツと足音が響いてくる。
珍しく今日はぼくが先に来たのかなと、後ろを振り返ると、こちらに歩いてきていたのはドラゴン使いのワタルだった。
なぜここに?と目で訴えると、その場で足を止める。
そのあと、少しためらいがちに告げられた言葉に、僕は耳を疑った。

彼はここには来ない。この先もずっと来ない。
――これを聞いた時、ぼくは勝ったと思った。
しつこくチャンピオンになるのを邪魔していたのが効いたのだろう。
自分のやっていたことは無駄じゃなかった。
そうやって、ようやく得た勝利をどう祝おうか考え始めたとき、爆弾が投げ込まれた。

彼はトキワのジムリーダーになるので、もうここには来ない。


――どうしてそんなに不自由になりたがるのか?
ぼくはその理由を聞くために、急いで彼の家へと向かった。
お姉さんに部屋に通してもらうと、彼は部屋でなにやら忙しそうにしていた。
聞くと、ジムリーダーになるための準備で忙しいらしい。
意味が分からなかった。
ジムリーダーのやつ、手加減して勝負して何が楽しいんだろうなとぼくに言ったあの言葉はなんだったのか。
そう問い詰めると、お前にはわかんねえよなと、彼はごく当たり前みたいな顔をしてつぶやいた。

一番言われたくない言葉だった。そっくりそのまま返してやりたかった。
分かってないのはお前だろと、大声をあげてののしってやろうとした瞬間、彼の手元で電子音がなった。

彼は音がなっている機械―小型の電話を慣れた手つきで操作し、ぼくを無視して部屋を出て行った。
何かが音をたてて崩れた気がした。ぼくは部屋の窓からリザードンに乗って家を出て、風の任せるまま飛び続けた。


気づいたら雪山の上にいた。
彼がぼくを探すために、ジムリーダーをやめればいいと思った。
探している道中で、旅の楽しさを思い出せばいい。
そんな思いで始めた山籠もりだった。

そうやって彼を待ってどれくらいたっただろうか。
この極限の環境で、ぼくの手持ちたちは格段に強くなった。
たぶん今彼と戦ったら、回復もせずに余裕で2回は勝てるだろう。
なんなら3回でもいけるかもしれない。
脳裏に、悔しがる彼の顔が思い浮かぶ。
そうしたら、負けず嫌いの彼はきっと躍起になって、また戦いを挑んでくるだろう。
その時はまた、ぼくが彼に勝って、彼がまた挑んできて、ぼくがまた勝つ。
そうやって、ここなら永遠に勝負ができると思った。
場所は抑えた。あとは彼が来るのを待つだけだ。


雪の降り積もる山頂に立って、カントーを見渡す。
今日も彼は探しに来ない。
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バレンタインネタ

バレンタインネタ


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腐向け。両片思い。
バレンタインネタはなんぼあっても良いの精神。



レッドの居所が判明してからというもの、グリーンは定期的にレッドの元を訪れるようになっていた。

セキエイ高原を越えた先、人気のない極地。
来る者を拒むようなその場所をねぐらにしている幼馴染は、なぜか頑なに家へ帰ろうとしなかった。

正直、勝手にしろと放っておきたかったが、レッドのことをずっと心配しているおばさんの事は放っておけなかった。
仕方なく、ひと月に一度山を登り、親不孝者の安否を確認している。

とりとめもない話をしたり、バトルをしたり、持ち込んだ飯を食べたりして、小一時間山の上で過ごす。
その後マサラに行って、おばさんに近況を報告するというルーティンを先週こなしたばかりだ。

本来なら、今日ここへ来る理由はないのだが。

ザクザクと雪を踏みしめながら、山の頂に見慣れた赤を見つけたグリーンは、手を振って呼びかけた。

「よおーッ! レッド!」

澄んだ山の空気を切り裂くように、グリーンの声が響く。
振り返った赤い帽子の少年が、わずかに目を瞬かせた。

「……グリーン?
もう一ヶ月経ったっけ?」
「いや、まだ経ってねぇけど」

一週間ぶりに会う幼馴染は、顔色ひとつ変えずにこちらを出迎えた。
めちゃくちゃ喜べとは言わないが、もう少し反応ってもんがあってもいいだろと思う。

「何だよ、遊びに来ちゃ悪いかよ」
「そうは言ってないけど……
忙しいって言ってなかった?」

痛いところを突かれ、グリーンは一瞬言葉に詰まった。

「……んー、まあ忙しいぜ」
色んな意味で、と心の中で付け足す。

苦々しげな顔を見て、レッドは少し声色を強める。

「なに? ジム抜け出してきたの?
また怒られるよ」

もっともな言葉だ。
常識知らずのこいつに言われるのは腹立たしいが、自分自身も怒られる事をしている自覚はある。
だとしても。

「……今日はどうしようもない理由があんだよ」

そう、どうしようもない理由が。
レッドは静かに首を傾げた。

「……言ってみなよ」

グリーンは一歩近づき、わざとらしく咳払いをした。

「……レッド。今日が何の日か知ってるか?」
「……今日って何日?」

まあ、お前はそういうやつだよな、と日付感覚の死んでいる幼馴染を横目に見やりながら、グリーンは続ける。

「2/14! 
バレンタインだよ!バレンタイン!」

高らかに宣言するが、返ってきたのは淡泊な声だった。

「へー。それがどうしたの?」
「……どうしたもこうしたも!」

堰を切ったように愚痴が溢れ出す。

「自慢じゃねえけど、ジムリーダーになってから、チョコめちゃくちゃ貰うようになってさあ!」
「ふーん」
「ジムの外に出待ちの行列が出来てんだよ!」
「良かったじゃん」
「…っよくねーよ!!」

思わず声が裏返る。

「そんだけの人数から貰うだけでも大変なのに、貰った日にゃお返しも考えなきゃなんねぇんだぞ!
一ヶ月ずっとチョコのことばっか!
毎日おやつずっとチョコ!
追い返せってジムのやつらに頼んでも
『良かったですねえ』っつって取り合ってくんねえし!

あいつら、他人事だと思って……!

あー腹立つ! なんなんだよ!」

一気に吐き出して、肩で息をする。
レッドはしばらく黙って聞いていたが、やがてぽつりと言った。

「……じゃあ今、トキワシティは
君を待ってる人でいっぱいなわけだ。
ジムのみんな困ってるんじゃないの?」
「……お前までそういう事言うんだな!」

図星を刺され、顔をしかめる。

「あーそうだよ!
みんな血眼になって探してるだろうよ!
だからここに来た!

ここなら絶対見つかんねえからな!」

沈黙が落ちる。
レッドの表情は帽子に遮られて見えないが、口元が小さく動くのを見て、何か仕掛けようとしているのは分かった。
警戒を強めたグリーンの足元で、金色の影がぴょんと跳ねた。

「? ピカチュウ?
おい、くすぐったいって!
どうしたんだよ?」

じゃれつくピカチュウの動きが少し妙だ。

「って……あ!」

その小さな前足が、グリーンの懐から青い端末を器用に掴み取った。

「おい! お前何しようとしてる!」

ピカチュウはレッドの元へ駆けて行き、グリーンから奪い取ったものを渡した。

「……れんらく」
「はあ!? ちょ、待て! 返せこら!」

慌てて取り返そうとするも、雪に足を取られて思うように動けない。
何とかレッドの元に辿り着いた頃には、事は全て終わっていた。

「はい」
「おまえ! 何を……」

投げてよこされた端末を慌てて確認する。

『グリーン ぼくのとこにいます
レッド』

開かれたままのメール画面。
宛先はトキワジムのヤスタカ宛てだった。

「……お前! 裏切りやがったな!!!」
「どこにいるかくらい言えって
ぼくに言ったのはどこの誰」

「…………っ」

言葉に詰まる。
間違いなく特大のブーメランが返ってきた。
ぐうの音も出ない。
おそらく、この後一時間もしないうちに、ここに入れるやつ──十中八九、ワタルが飛んでくる。
そして有無を言わさず連れ戻される。
グリーンはこの後の避けようがない未来を想像して、空を仰いだ。
それを見て憐れんだのか、レッドがポツリと呟く。

「……でもこれ送っても、多分連れ戻されないよ」
「……いや、絶対ワタルが飛んでくるぜ」
「……無理だと思う」

やけに確信めいた言葉に、グリーンは眉を顰めた。
それを見たレッドは、無言でリザードンをボールから出す。

「乗って」

差し出された手を、グリーンは取った。





二人は並んで、セキエイリーグ本部を見下ろした。
上空からでもはっきり分かる。
建物の前は人でごった返していた。
色とりどりの包みを抱えた人々が、延々と列を作っている。

「……ね?
君に構ってる暇ないよ」
「…………確かに」

レッドの言う通り、ここを突破するだけでも大変そうな有様だ。
トキワジムから抜け出した際に目にした人混みと同等か、それ以上か……。
詰めかける人々を、リーグ職員が必死に捌いている。

「……自分だけ逃げて罪悪感でも湧いた?」

後ろから、少し揶揄うような声がかかる。
振り向くと、案の定、小馬鹿にした顔で幼馴染が笑っていた。

「……はー。オレ戻るわ」

観念したように項垂れたグリーンは、自身のボールからピジョットを呼び出し、リザードンの背から飛び移った。

「そう。じゃあね」
「おう。またな」

リザードンをひと撫でしたグリーンは、ピジョットにトキワまで頼むと指示を出した。
返事のようにピジョットがひと鳴きする。
まさに飛び立つその瞬間。

「……食べきれないチョコ持ってきなよ」

減らすのは手伝えるよと、いたずらっぽく笑ってレッドは言った。
ぶきっちょな幼馴染なりの励ましに、グリーンは満面の笑みで応えた。

「死ぬほど持ってきてやるよ!」





数時間ぶりのトキワシティ。
どんな地獄が待ち受けているかと恐る恐るジム前を確認したグリーンは、驚きのあまりピジョットから落ちそうになった。
あれほど溢れていた人混みが、まるで最初から存在しなかったかのように消えている。

「……は?」
静まり返ったジム前で立ち尽くしていると、扉が開いた。

「あ。リーダー。帰ってきたんですか」

ヤスタカはいつも通りの笑顔だ。
扉を開けたままグリーンを待っている。
おそらく中に入れとの意味だろう。
グリーンは諦観の面持ちでジムの扉を潜った。

「……抜け出して悪かった。
怒ってる……よな?」
「怒ってませんよ?」

即答だった。
その声色は穏やかで、だからこそ逆に怖い。

「ただ、行き先だけは共有して下さい。

今は物騒ですから。

特にリーダーは目立つ立場なんですし」

じわりと圧が滲む。
やっぱり怒ってるじゃねえかと毒づきながら、グリーンは“分かりました”の意でうなづいた。
ヤスタカは、分かればよろしいと言わんばかりにうなづくと、開け放していたジムの扉を閉じた。
促されるまま、執務室への道を歩く。
少し空気の緩んだヤスタカに、帰ってきてからの疑問をぶつけた。

「なあ、外にいた人って…」
「ああ、みなさん帰りましたよ」

思わず振り返る。

「……オレが居ないって言って帰ったのか?」

だとしたら行幸だ。
そんな簡単な事で面倒ごとを回避できるなんて思ってもみなかった!

「ええ。
リーダーは好きな人の所に行ってるので
帰ってきませんって言ったら、
みんな解散しましたよ」
「……は?」

今、目の前にいるコイツは何を言っているんだろうか。
良い笑顔をしたヤスタカは続ける。

「それはもう、蜘蛛の子を散らすようでした!

リーダーにも見せたかったなあ」

グリーンの顔が引きつる。

「……いや、待て待て待て。
好きな人の所に行ってるって……」
「ああ、ハイ。

レッドさんからリーダーいるって連絡受けたんで、
周りにも教えときました。

リーダーは“レッドさん”っていう好きな人の所に行ってて

今日一日帰ってきませんって」

沈黙。
思わず目に手を当てる。

「…………ヤスタカ。

お前ほんとはめちゃくちゃ怒ってるな?」
「怒ってませんよ。

っというか何で帰ってきたんですか?

痴話喧嘩しました?」

全く悪びれないどころか、煽って来るとは。

「……ヤスタカァ!!!」

ジムに、グリーンの絶叫が響き渡った。










「……チョコは?」

一週間ぶりに会う幼馴染への第一声がそれかよ、と呆れながらグリーンは懐から小箱を取り出した。
それを受け取りながら、レッドはこれだけ?と図々しいにも程がある事を言う。

「そーだよ!それだけ!」

そう言ってグリーンは雪の上に大の字になった。
今日は珍しく晴れていて、普段は雲に隠れている太陽がはっきりと見えた。
眩しさに思わず目を閉じる。

「死ぬほど持ってくるって言ってたのに」

むかつくことを言いながら、自分の横に座り込んだ幼馴染に顔をしかめる。
さらにこの後、このバカな幼馴染に馬鹿げた話をしなきゃならないと考えて、グリーンは気が重くなった。

あのバレンタインの日、ヤスタカがジムの前に集まった人たちに伝えた言葉はその日のうちにカントー中に広まり、その翌日行われたジムリーダーの集会に来た他の町のリーダーに、グリーンは死ぬほどいじられた。

「あんな大変な日に抜け出してまで会いに行くなんて、意外と一途なのね」
「そんなに会いたかったなんてねえ」

いくら否定しようと、何を言おうと取り合ってもらえない。
果てには、街中で見かけたゴシップ誌の見出しにまでなる始末。
頭が痛くなってきた。

この惨状に、噂を広めた張本人は何ともない顔で「事実だし良いじゃないですか」と、悪びれる様子もなく言い放った。
流石に怒った。
逃げ出したオレはともかく、レッドを勝手に巻き込むのはやめろと言うと、「そう言うところですよ」と言ってヤスタカはキレているオレを放置して仕事に戻った。
あんまりな態度に、オレはボイコット──山登りを決意した。

前回の去り際、チョコを持っていくと約束した手前、手ぶらで行くのは気が引けた。
かといって今、チョコレートのコーナーに行こうものなら何を言われるか分からない。
何か代わりになるものはないかと家の冷蔵庫を探していると、なぜかチョコレート作りに必要な材料一式が入っていた。
おそらく先日のバレンタイン用の材料を、姉が余らせたのだろう。
有り難く拝借して、適当に溶かして固める作業をしている間、「そう言うところですよ」とヤスタカの声が脳内に響き渡る。
むしゃくしゃを掻き消すようにラッピングし、懐に突っ込んで家を出た。

──そうして作られたチョコを、オレの横にいる幼馴染は何の躊躇いもなく口に放り込む。

「……あんまり美味しくない」
「……ひでーなお前」

それを作った人間のことを一切思いやらない率直な感想に、グリーンは顔をしかめたと同時に、こんな失礼なやつの口に入るのが、女の子のチョコじゃなくてオレので良かったなと思った。
……オレは一体何を考えているんだ?

「グリーンが作ったの?これ」

思わず飛び起きる。

「……なんでオレの名前が出てくんだよ」

心臓がバクバクと音を立てていた。
誰が作ったかなんてわかるはずもない、というか絶対に分からないよう気をつけて作ったはずなのに、言い当てられてグリーンは焦っていた。
その焦りを知ってか知らずか、レッドは何となしにつぶやく。

「え?だってグリーン
ぼくのこと好きなんでしょ?」









固まったグリーンの横で、レッドは相変わらずモグモグとチョコを食べていた。
普通に美味しくない。おそらく彼が本気を出せば、もっと美味しくなれたであろうチョコを思うと、少し腹が立った。

あの日グリーンと別れた後、その後が気になりトキワシティをひっそりと訪れていたレッドは、自分と幼馴染が恋仲だと噂されていることを知った。
彼が否定に奔走していることも、全く相手にされていないことも、風の噂で知った。

──当分会いにこないだろうな。

少なくとも噂が風化するまでは、あの意地っ張りな幼馴染が会いに来ることはないだろうと予想を立てて、一人ため息をつく。
それがまさか、ひと月と経たないうちに会いに来るとは、とレッドは未だ固まったままのグリーンを横目で見ながら思った。

「……それどこで聞いたんだよ」

どうやら解凍できたようだ。
ようやく現実に帰ってきたグリーンが、重々しく口を開いた。

「こないだ山降りた時。
噂とか雑誌とか」

端的に答えると、唸る様な声が横から飛んできた。

「嫌だったろ」

彼は、断罪を待つかのように俯いている。
嫌か、嫌じゃないかで聞かれたら。

「別に、嫌じゃなかったよ」

しばしの沈黙。
彼の表情は見えないけれど、さっきより緩められた握り拳を見て、レッドは少し安堵した。

俯いたまま、グリーンは続ける。

「……その、悪かったな。
迷惑かけてよ。
もうちょっとしたらみんな飽きて
あんなバカな噂忘れっからさ。
それまで我慢してくれって、
今日は言いにきたんだよ」

早口でグリーンは捲し立てる。
レッドは黙って続きを促した。

「……ほんとは今日来るのも
余計言われそうで迷ったんだけどさ。
お前が山降りていきなり
変なこと言われて気分悪くするよりは
マシかと思って来たんだけど…。
もう聞いちまってたんだな…」

まさかこんな事になるなんてなと、自嘲気味にグリーンは笑っていた。
彼は、ぼくが注目されるのを死ぬほど嫌っていると思っているからか、いつになく真剣に後悔している様だった。

「……せっかく山降りたのに
嫌な思いさせてごめんな?
オレもう当分来ねえわ
だから──」

──グリーンが来なくなる?

「ぼく嫌だって言ってないよ」

来なくなるのは困る。
そう思ったら、自然と否定の言葉が溢れ出た。

「それに」

俯いていた目が、こちらを見る。


「グリーンがぼくのこと好きな事なんか
大分前から知ってるし」


「ほんとのことじゃん」とレッドが付け加えると、グリーンは分かりやすく震え出した。
「んなわけ」やら「違うし」とぶつくさ言いながら唸っている。
顔を真っ赤にしている時点でもう答え合わせみたいなものなのに、とレッドは空を見やった。

横からずっと「好きじゃねえし」だの「おまえ例え不味くても正直に言うこたないだろ」だの恨み言が聞こえて来るが、レッドは全部無視してチョコを食べ切った。
散々否定の言葉を並べ立てた後、逃げ帰ろうとするグリーンの背中に向かって、「来月も来るんだよね」とレッドは声をかけた。
一応、万が一、念のための確認だ。

しばしの沈黙の後。

「しょうがねえから来てやるよ!」
と半ば投げやりに返された答えに、レッドは思わず声を上げて笑った。


おわり
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場所取り

場所取り

ハンガーストライキベース

レッドサイド

 

ぼくとグリーンが一緒に旅に出る約束をしたのは、まだ背丈も今よりずっと低かったころだ。
マサラの外れ、草むらの上に寝転がって、空を見ていた。
風が吹くたびに、草がざわざわと音を立てる。

「なあ」

隣で、グリーンが声を出した。

「旅に出る時はさ、一緒に行こうぜ」

あまりにも当然みたいに言うから、ぼくも当たり前みたいにうなずいた。
断る理由なんて、ひとつもなかった。
あのときは、それがずっと続くものだと思っていた。

旅に出る少し前になって、グリーンは突然、やっぱり一緒には行かないと言い出した。

「なんで?」

そう聞いたとき、彼は迷いなくこう言った。
「だって、つまんねーじゃん」
「つまんない?」
「一緒にいたら、競争できねえじゃん」

――だから行かない。

冗談だと思った。でも次の言葉で、それが本気だとわかった。
「それに、おまえと一緒にいたら、チャンピオンになれねえから」
「すっとろいやつに付き合ってたら、一生無理だろ」
「おまえじゃ、おれについてこれねえよ」

彼はこちらを見ずにそう言った。
世界がひっくり返ったかと思った。
そのとき何を言い返したのかは、もう覚えていない。
ただ、彼が謝るまで、絶対に口をきかないと決めたことだけは、はっきり覚えている。



旅に出る日。

ぼくは家の前で、少しだけ立ち止まっていた。
もしかしたら、あいつが来るかもしれない。
やっぱり一緒に行く、なんて言い出すかもしれない。
そんなことを考えて、ほんの少しだけ待った。

けれど、いくら待ってもグリーンは来なかった。

旅先で、何度も顔を合わせた。
そのたびに、あいつは当然みたいに話しかけてくる。

「おい、遅いぞ」

ぼくは返事をしなかった。
視線も向けずに、そのまま横を通り過ぎようとすると、毎回ボールが飛んできた。

何度かの敗北の後、ぼくは初めて彼に勝った。
そのとき初めて、ほんの少しだけ、胸の奥がすっとした。

――見返してやる。

そう思った。

それからは、ただひたすらに進み続けた。
あいつに追いついて、追い越して、もう一度勝つために。
気がつけば、ぼくは頂点に立っていた。 

チャンピオンの間は、思っていたよりも静かだった。

勝った瞬間は確かに高揚していたはずなのに、
そこに座り続けていると、だんだん息が詰まるようになってくる。
ここにいるのは、好きじゃない。
でも、あいつは違うみたいだった。

リーグに来るたびに、グリーンはそこにいた。
当然のように、ぼくの前に立つ。

「勝負だ」 

ぼくは、それに応え続けた。

もはや意地だった。
ぼくとの約束を破ってまで、チャンピオンなんてつまらないものになりたがるのが許せなかった。
こんなところに縛られるのが、本当に君の目指してたものなの?と聞いてやりたかった。

勝負の後、あいつはすぐに立ち去る。
何かを言おうとしても、聞く耳なんて持っていない。

だったら、勝ち続ければいい。
そうすれば、少しは聞く気になるかもしれない。
そう思って、今日も勝つ。
それでも、あいつは振り返らない。

そんなやり取りを、何度繰り返しただろう。
四天王たちには、半ば呆れた顔をされるようになっていた。

「またか」

そんなふうに言われても、やめる気にはなれなかった。
これはもう、チャンピオンの座のためじゃない。
どちらが先に折れるか、我慢比べの勝負だった。



その日も、いつもと同じはずだった。

チャンピオンの間に足を踏み入れる。
けれど、そこには誰もいなかった。
静かすぎる空間に、足音だけが響く。

「……グリーン?」

返事はない。
代わりに、背後から足音が近づいてきた。
振り返ると、そこにいたのはワタルだった。

どうして、ここに。
問いかけるより先に、彼は口を開いた。

「彼は…」

一瞬、言葉が途切れる。
そのわずかな間に、嫌な予感だけが膨らんでいく。

「もう来ないよ」


――勝った。

そう思った。

あれだけ邪魔をしていれば、さすがに嫌になったんだろう。
ようやく諦めたんだ。
無駄じゃなかった。
胸の奥で、何かが軽くなる。
これで、やっと一緒に旅に――


「トキワジムを継ぐそうだ」

静かに告げられた言葉に、思考が止まった。

 

気づいたときには、走り出していた。
グリーンの家までの道を、ほとんど覚えていない。
息を切らして扉を叩くと、お姉さんが驚いた顔で出てきた。
事情もそこそこに、部屋へ通される。

部屋の中で、グリーンは机の方に向かって立っていた。
書類の束に目を落として、見終わったものを机の上に振り分けている。
ちらりと見えた書類には、トキワシティの写真が載っていた。


「……本当に、ジムリーダーになるの」

息を落ち着かせる間も惜しくて、切れ切れに問いかけた。
それに対して、彼は書類から目も上げずに答える。

「なるけど。それがどうしたよ」

胸の奥がどうしようもなくざわつく。

「…まだ、終わってない」

ようやく顔を上げた彼は、露骨に面倒くさそうな顔をした。

「それならジム来いよ。適当に相手してやるから」

――適当に?
その言葉が、引っかかった。
気づけば、口からこぼれていた。

「手加減して勝負するのの、何が楽しいんだって……」
「あのとき言ったのに、覚えてないの」

グリーンは、一瞬だけ目を細めてすぐに前に向き直って、こう言った。
 
「おまえには、わかんねえよ」


…わかってないのは、そっちだろ。

頭の奥で、何かが切れた。
言い返そうとした、その瞬間。
電子音が鳴った。

グリーンはそちらに意識を向け、慣れた手つきで操作すると、ぼくを一瞥もせずに部屋を出ていった。
部屋に一人、取り残される。グリーンはこちらを見ることもしなかった。
何かが、音を立てて崩れた気がした。

気づけば、窓を開けていた。
外に飛び出し、リザードンに跨る。

どこへ向かうかなんて、考えていなかった。
ただ、ここじゃないどこかへ。

森、海、洞窟、山。

どこもかしこも緑があった。
落ち着けるところを探して、ぼくはひたすら飛び続けた。



――気づいたとき、そこは雪山の上だった。

吐く息は白くなって、風は肌を切るように冷たい。
それでも、頭の中は妙に静かだった。

あいつが、探しに来ればいい。 

ジムリーダーなんてやめて、ぼくを探して。
そうしているうちに、思い出すはずだ。
旅のこと。自由だった時間のこと。

だから、ここで待つ。
 
日が過ぎるごとに、手持ちは強くなっていった。
この環境に適応して、研ぎ澄まされていく。

もし今戦えば、きっと圧勝できる。
回復なんてしなくても、二回は勝てる。
三回だっていけるかもしれない。

悔しそうに歯を食いしばる、あいつの顔が浮かぶ。

そうしたら、また挑んでくる。
ぼくが勝って、あいつがまた来て。

また勝って、また来て。
ここなら、終わらない。

あの場所みたいに。
ちゃんと、本気で戦える場所。

山頂に立つ。

雪が、視界を白く塗りつぶす。
その向こうに、カントーが広がっているはずなのに、
今はもう、ほとんど見えない。

それでも。
あいつなら、間違いなくここまで来る。

そう思っているのに。

今日も、彼は来ない。



雪がやんだ、ある日のことだった。
この山にしては珍しく、風が穏やかで、視界も開けていた。

人影が見えた。

白い景色の中に、ぽつりと色が混じる。
黒と黄色の帽子。

近づいてくるのは、ひとりの少年だった。
年は、ぼくより少し下だろうか。

胸元で、バッジが光る。
その中に、見慣れた緑色を見つけた瞬間、指が勝手にボールに触れていた。

勝負は、すぐに決まった。

吹雪の名残で足場は悪く、少年の指示も、ほんの少しだけ遅れる。
そのわずかな差で、押し切った。


「……っ、くそ……!」

何か言っていた気がする。
けれど、もう興味はなかった。

視線は、山のふもとの方へ向いていた。
白く霞んだ向こう側。

今日も、来ない。
そう思ったときには、少年の姿はもうなかった。


ねぐらに戻る。

岩陰に作った、簡単な拠点。
風は防げるが、冷えは完全には消えない。

「……今日も来なかったな」

誰に言うでもなく、声が落ちる。

ノートを開く。
この三年で、書き溜めたものはずいぶん増えた。
話したいことが、山のようにあるからだ。
忘れないように、全部、書いておく。

出会ったポケモンのこと。
強かったやつ。珍しかったやつ。親子でいたやつ。
吹雪が止んで、空気がきらきらと光った日のこと。
名前も知らない木の実や、妙な落とし物。

一番驚いたのは、ピカチュウがキャンプ道具一式を抱えて戻ってきたときだった。

「……それ、落とし物じゃないでしょ」

さすがにそう言って、元の場所に戻させた。
けれど数日後、また同じものを拾ってきた。
落とし主は、相当なドジらしい。 

この山のあたりには、妙にそういう物が多い。
ねぐらの中を見渡せば、そのほとんどが拾い物だった。

君なら、きっと言う。
「誰のか突き止めようぜ」って。

そんな声が、頭の中でやけに鮮明に響く。

ノートに視線を落とす。
今日のページに、さっきの少年のことを書き込んだ。

久しぶりの対戦だった。
少しだけ、楽しかった。

それから、何度もその少年は山に現れた。
会うたびに、強くなっていく。

最初はぎこちなかった指示も、次第に迷いがなくなる。
手持ちの連携も、洗練されていく。

ノートに同じ名前を書く回数が、増えていく。
いや、名前はまだ知らない。
十回目になるだろうか、とページをめくりながら思う。

「……名前、聞いてないな」 

小さくつぶやいて、すぐにやめた。 

グリーンなら、知っているのかもしれない。
そう考えた瞬間、思考を切った。 



その日も、少年はやってきた。
勝負は、ぎりぎりだった。 

一手、判断が遅れていれば、負けていたかもしれない。

「はあ……っ、はあ……」

息を切らしながら、それでも少年は悔しそうにこちらを睨む。
けれど、何も言わずに背を向けた。

そのまま、山を下りていく。

自分も前に向き直ると、よく知った名前が耳に届いた。

「……グリーンさん……!」

思わず振り返る。 

少年は、何か小さな機械に向かって話していた。
聞き取れたのは、その名前だけ。 

――グリーン。 

なるほど、と納得する。

この短期間での成長。
あいつが関わっているなら、説明はつく。 

あいつは、昔からそうだった。
教えるのは、妙にうまい。 

……でも。 

あいつは、知っているんだろうか。
この山で、そいつが誰と戦っているのか。 

ノートを閉じる手が、わずかに止まった。



負けた。

それが、どういうことなのか。
しばらく理解できなかった。

気づけば、山を下りていた。
足が、勝手に動いていた。


三年ぶりに入ったポケモンセンターは、やけに明るかった。

白い光が、目に刺さる。
思わず帽子を深く被る。
それでも、まだ眩しい。

機械的な音声が、淡々と流れている。
見慣れているはずなのに、どこか現実感がなかった。

ボールを差し出す。
手持ちが回復していく間、何も考えられなかった。


ねぐらに戻る。
ノートを開く。
手は、いつも通り動いた。 

今日の勝負を書く。 

――負けた。

ここで、ようやく実感が追いついてきた。 

正直なところ、泥仕合だった。

相手は、明らかに耐久戦に持ち込もうとしていた。
それは最初からわかっていた。
だから、速攻で押し切る。
それが、ずっと通用していたやり方だった。 

だけど、今回はそれじゃ間に合わなかった。

ペン先が、紙の上で止まる。

もし、もう一度戦ったら。
同じことになる。
今のままじゃ、勝てない。

「……じゃあ、どうする」

声に出す。 

次はどうやって勝つか。
それを考えるのは、嫌いじゃない。
むしろ、楽しいはずだった。
でも今回ばかりは、何も思い浮かばない。

ふと、横を見る。
昔からの癖だった。 

わからなくなったときは、隣を見る。
そこにいるやつが、当たり前みたいに答えを出すから。

けれど。
そこには、何もなかった。


ただの空間が、広がっているだけだった。


『……当たり前だろ』


どこからか、そんな声がした気がした。

ノートに視線を落とす。
書き溜めたページを、指先でなぞる。

三年分。
話したいことが、全部、ここにある。
それなのに、一度も、話していない。

ページを閉じて、立ち上がった。


ぼくは、山を下りることにした。



その日は、やけに天気が良かった。

雲ひとつない空。
雪に反射した光が、やけに眩しい。

山頂から、そのままリザードンに乗る。
風を切って、一気に高度を下げる。

見下ろした景色は、少し変わっていた。

建物が増えている。
道も整備されている。

トキワシティが、記憶よりも広く見えた。

目的地までは、迷うまでもなかった。


トキワジム。
あいつがいる場所。

入口の前で、足が止まる。
何を言うかなんて、考えていなかった。
今さら何を言えばいいのかも、わからない。
しばらく、そのまま立ち尽くす。
そのときだった。

「ピカ!」

ボールが、勝手に開く。

飛び出したピカチュウが、迷いなく駆け出した。
ジムの裏手へ。

慌てて追いかけて、角を曲がる。
そこで、足が止まった。 

そこにいた。

ピカチュウの頭を、慣れた手つきで撫でている。
グリーンが。 

自分の記憶より背が伸びていた。
髪も少し長くなっている。

けれど、その仕草だけは、何も変わっていなかった。

こちらに気づいたピカチュウが、振り向いた。
次の瞬間、一直線に駆けてくる。

それを合図にしたみたいに、グリーンの手がボールにかかった。

視線が、ぶつかる。
言葉は、いらなかった。

「……戻れ」 

ピカチュウに、短く指示を出す。
踵を返し、こちらへ戻ってくる。

――続きだ。
三年前の、あの日の。
終わっていなかった勝負が。

今、また始まった。



勝負は、引き分けだった。
どちらのポケモンも動かなくなったところで、ようやく終わりを迎えた。 

気づけば、周りには人が集まっていた。
いつの間にかできていた輪の中から、人を押しのけながらこちらに近づいてきている人がいた。

「グリーン!」

グリーンのお姉さん――ナナミさんだった。
人込みを抜けて、こちらに臆することなく近づいてくる。

「ちょっと、何してるの!こんなに地面ボコボコにして!」

次の瞬間には、説教が始まった。
それを聞いて、何の騒ぎだとジムの人たちも出てきた。
そのままナナミさんの横に集まって、グリーンにお説教をしている。

グリーンが叱られている、その横で。

「レッドくんもよ!どれだけ心配したと思ってるの!」 

ぼくも叱られていた。
言い返す間もなく、次々と言葉が降ってくる。

ふと横を見ると、グリーンがこちらを見て、笑っていた。

「何笑ってるんですか!」

それをジムの人たちに見咎められて、グリーンが顔をしかめる。
ざまあみろと思った。



どれくらい経っただろう。

ようやく解放されたころには、ギャラリーはすっかりいなくなっていた。
ジムの人たちも、それぞれの持ち場へ戻っていく。
ナナミさんも、「あとでちゃんとお家に顔出しなさいね」と言い残して去っていった。

残されたのは、ぼくとグリーンと。
「ちゃんと片付けてくださいね」と押し付けられた掃除道具だけ。

ふと、空を見上げる。
遠くに、シロガネ山が見えた。

あの場所は、静かだった。
誰も来ない。
いくら地面を抉っても、怒るやつはいない。

「……山でやれば、怒られなかったのに」

山を見ながら、思わずぽつりとこぼす。
次の瞬間、横から拳が飛んできた。

「痛っ……!」

「あのな!ジムでやれば怒られなかったんだよ!」

グリーンは、これでもかっていう声量でぼくを怒鳴りつけた。
ぶん殴られた頭をかばいながら、言われた言葉を思い返して、ようやく腑に落ちた。

――ああ、そういうことか。

セキエイリーグでやれば、また迷惑がかかる。
だから、ジムでやる。

「……君がジムリーダーになったのって、そういうこと?」

三年前、彼はそう考えたんだろう。
あのとき言われた言葉を思い出す。

『それならジム来いよ。適当に相手してやるから』

視線を向けると、グリーンは少しだけ気まずそうに目を逸らした。
彼も自分の言い方がまずかった事は、わかっているらしい。

でも、責める資格は、ぼくにはない。

そのまま黙って掃除を始めた。
グリーンも何も言わず、同じように動く。

言葉はなかった。

けれど、不思議と居心地は悪くなかった。


片付けが終わると、ぼくはそのままグリーンに引きずられて家へ連れて行かれた。
扉を開けると、母さんがいつも通りの顔で迎えてくれる。

「おかえり、レッド」

テーブルの上には、ごちそうが並んでいた。
たぶん、ナナミさんが連絡してくれていたんだろう。

けれど「その前に」と、また腕を掴まれる。

「ちょっと来い」

グリーンはかあさんに軽く会釈してから、ぼくをひきずって外に出た。



連れて行かれたのは、研究所だった。

「じいさん!レッド帰ってきた!」

その声を聞いて、奥から紙の束を抱えた博士が出てきた。

ぼくの顔を見た瞬間。
手にしていたそれを、全部落とした。

「……レッド」

次の瞬間には、強く抱きしめられていた。

「よく戻ってきたな」

不思議な気持ちだった。
ぼくは戻ってこないと思われていたんだなと、改めて思った。

顔を上げると、グリーンがこちらを見ていた。
一人で反省しろとでも言いたげな顔だった。
そのまま、何も言わずに外へ踵を返す。

その時、

「……グリーンも、だ」

と博士の声が、引き留めるように、静かに響いた。 

ぼくは、その腕を掴んで引き寄せた。
グリーンは、抵抗しなかった。



その日の夕飯は、四人で囲んだ。
母さんと、ナナミさんと、グリーンと。

テーブルいっぱいの料理。
三年分を埋めるみたいに、時間が流れていく。


「そういえば、山で戦ったやつ、いたんだけど」

知ってる?と聞くと、グリーンは話し出した。

名前は、ヒビキ。
聞いてみると、やっぱりグリーンが面倒を見ていたらしい。

「そりゃ強いわけだ」

そう言うと、グリーンは露骨に得意げな顔をした。
腹が立ったので、話題を変えた。

今度は、グリーンが話し始める。

見たことのないポケモンの話。
新しい進化。
知らない地方。

三年で、こんなにも違うのかと思う。
どれも、面白かった。

そして、どうしようもなく、寂しくなった。


「……ぼく、また旅に出る」

気づけば、そう言っていた。

明日でも、すぐにでも。
グリーンが見てきたものを、全部、自分の目で見たくなった。

グリーンは、驚いた様子もなく頷いた。

「そーかよ」

それだけ。
少しだけ、拍子抜けした。

「定期的に連絡はしろよな」

そう言って、グリーンは笑った。



次の日の朝、天気は快晴。
母さんたちに見送られて、外に出た。

リザードンに乗って、グリーンの方へ振り返る。
目線があった瞬間、

『一緒に行こう』 

って言葉を、飲み込んだ。
ぼくには、その言葉を言う資格がないと思ったから。 

あのとき。
あいつがジムリーダーになるって決めたときに、言うべきだった言葉だったから。

逃げたのは、ぼくの方だ。

もう振り返らずに、空へ上がる。
町が、小さくなっていく。

視線を、前へ向けた。

「はやく追いつかなきゃ」

そう思った。



グリーンサイド

 

昔、レッドと一緒に旅に出る約束をした。

……結局、やめたけどな。

あいつと一緒にいたら、たぶん楽だったと思う。
でも、それじゃダメだと思った。

なれあってたら、上には行けない。
じいさんだって、一人でやってたらしいし。

強くなるなら、一人の方がいい。
そう思った。

それに、おれは早く強くならなきゃいけなかった。
姉ちゃんを、安心させるために。 

レッドだって同じだろ、と思った。
あいつだって、おばさんを安心させたいはずだ。

だったら、一緒に行く理由なんて、ない。

「おまえじゃついて来れねえよ」

口から出たのは、そんな言葉だった。
もっとマシな言い方、いくらでもあったはずなのに。

旅に出てからも、何度も顔を合わせた。
そのたびに、あいつは無茶をしていた。

勝手に危ないところに首を突っ込んで、
ギリギリでなんとかする。
見てるこっちが、ひやひやさせられた。

『やっぱり、一緒に旅すりゃよかった』

と、何度か本気で思った。
でも、今さら言えるわけがない。

それでも、気づけば、おれたちは同じ場所に立っていた。

あそこにいれば、何度でも戦える。
何度でも、あいつと。

――悪くない、と思った。

けど、いつまでも、こんなことやってられるわけじゃない。
それくらいは、わかってた。

だから場所を変えることにした。

ジムなら、リーグに迷惑をかけることはないし。
多少壊しても、文句は言われないし。

……あいつも、来やすいだろ。

そう思って、おれはジムリーダーになった。

レッドには、何も言わなかった。
言ったら、色々言われそうだったから。

その翌日。
あいつは、消えた。



朝。

「レッドくん、どこ行ったか知らない?」 

姉ちゃんにそう聞かれて、一瞬、何も考えられなくなった。 

「一週間くらい、帰ってないらしいの」

言葉が、やけに遠く聞こえる。
 
――おれのせいだ。
頭のどこかで、そう思った。

「……知らない」

首を横に振る。
それしかできなかった。

「見つけたら、帰るように言ってね」

そう言われて、うなずいた。

口に入れたパンは、味がしなかった。
ぼそぼそしたそれを、無理やり水で流し込んで家を出た。



ひとまず、あいつが行きそうな場所は全部あたった。
町、森、洞窟、海沿い。
思いつく限り、時間の許す限り、全部行った。

聞き込みもした。
誰も見ていないと言った。

最後に、ナツメのところへ行った。
藁にもすがる思いだった。

「……山にいるわ」

それを聞いて、カントー中の山を片っ端から回った。
ピジョットに乗って、上から探す。

――いた。

シロガネ山の頂上。
白の中に、赤がひとつ。
その周りを、黄色い影がぐるぐる回っている。
双眼鏡を下ろしたとき、変な笑いが漏れた。

雪の中を登る。
風が強い。
視界も悪い。
それでも、足は止まらなかった。

頂上に着いたら、言ってやることはいくらでもあった。
勝手に消えんな。
おばさんに心配かけんな。
ジムのことだって――
頭の中で並べているうちに、気づけば、あいつの姿が肉眼で見える位置まで来ていた。

立っていた。
ただ、それだけだった。
雪の上に、突っ立って、微動だにしない。

その視線を追うと、その先にリーグが見えた。

――ああ。

その瞬間、全部つながった。
あいつは、ここに、作ってるんだ。
あの場所を。

最初は、強さを証明するためだけの場所だったはずだ。
でも、何度もやってるうちに、あれはそういう場所じゃなくなった。

あそこにいれば、終わらない。
勝って、負けて、またやって。
それだけでいいと思ってしまう。
だから、抜け出した。

あいつは、雪の中、ずっと動かない。

声をかければ、きっと動くだろう。

でもやめた。
今呼んだら、終わる。

必ず、勝負になる。
あいつがここにいる限り、おれはやる。
抜け出したはずの場所に、また戻ることになる。
何なら前よりひどい。

こんな場所で待ち続けるなんて、正気じゃない。
なのに、否定できなかった。
むしろ、『いいな』って思った。

一生、あいつとだけ戦っていられるならそれでもいい。
そんなことバカみたいなこと考えてるのが自分だけじゃないって分かって、笑い転げそうになった。

見つからないように、来た道を引き返す。
十分に距離を取って、ようやく息を吐いた。

「……はは」

笑いが、止まらなかった。
雪の中で、一人で笑う。
あいつが先か。おれが先か。
どっちが、折れるか。

「……勝負だな」

誰に聞かせるでもなくそう呟いて、山を後にした。



レッドが消えてから、一か月。
あいつは当然のように山にいる。
双眼鏡を覗く。
頂上、白の中に、赤がひとつ。
相変わらず動かない。

食事は、木の実と缶詰。
缶詰は、ピカチュウが運んでいるらしい。

「……世話されてんのかよ」

小さく笑って、双眼鏡を下ろした。


三か月。
季節が変わる。
木の実は減ったはずだ。

ピカチュウの帰り道に、携帯食を置いておく。
それに気づいた黄色い毛玉が、一瞬、こちらを見た。

そのまま、迷うことなく持っていった。

……気づいてるな。

でも、レッドは知らないみたいだった。
あいつは今日も、動かない。

雪の降り始めた山頂に、今日も半袖で突っ立っている。
吐息は白くなっていた。

気付けばリザードンがそばに居ることが多くなった。
レッドが出してるのか、リザードンが自分から出てるのかは分からない。

ニュースで寒波の話を聞くようになった。

レッドを見つけたって、言おうと思った。
見つけたけど、オレじゃ降ろせそうにないって。
姉ちゃんとおばさんに、言ってしまおうと思った。

そう思って、夜、姉ちゃんとおばさんに相談しようとした。
ちょうど二人はリビングで話していた。
おばさんがすすり泣く声が聞こえて、オレは階段で足を止めた。

「大丈夫、グリーンが見つけてるみたいだから」
「…そうね、グリーンくんなら安心だわ…。 ごめんなさい、ちょっと不安になっちゃって」
「大丈夫…大丈夫よ。あの子たちならきっと」

オレは部屋に戻った。

…おばさんたちに頼んでも、解決しないことは分かり切っていたのに。
レッドは二人の言うことでもきっと聞かない。
あれを何とかするのはオレの役目だ。
自分が楽になりたいからって、二人に頼むのは筋違いだ。

オレは布団をかぶって、目をつぶった。
おばさんの小さな後ろ姿が、焼き付いて離れなかった。

その夜、夢を見た。
レッドを引きずり下ろす夢。

また山に勝手に登らないように、ボールを全部取り上げた。
ボールを新たに手に入れられないように、各所に張り紙をした。
「レッドにボールを与えないでください」
って内容だったと思う。我ながらバカみたいな内容だ。

ジムにいる間だけ、ボールを返してやった。
挑戦者を軒並み返り討ちにしていくやつは、ずっと外を見ていた。
何をしていても、ずっと外――山の方を見ている。

そこで目が覚めた。
心臓がバクバクと音を立てていた。
冷汗が背中を伝う。

その日の昼、久しぶりにリーグに足を運んだ。
ロビーの椅子でぼーっとしていると、よく見知った顔が近づいてきた。
四天王のトップ、ワタルだ。
マントを翻しながら、オレの横に立つ。
 
「久しぶりだね、ジムはどうだい?」
「…まー、ぼちぼち」

適当に生返事をする。
ワタルはそれをとがめることもなく、話をつづけた。

「君のことは、ジムにいるトレーナーからよくやってるって聞いてるよ」
「…へいへい」
「…で?ジムをサボって彼を探してたようだけど、見つけたのか?」

その目は見つけたんだろう?と言っていた。

「……」

見つけたって言ったら、こいつはなんて言うんだろう。
じゃあとっとと連れ戻してこい、か。
それができたら、している。
何も言わずにいると、ワタルは前を見たまま話しだした。

「連れ戻すことは、俺でも出来る」
「…その後は、俺ではどうすることもできない」

立ち上がって、こちらを見る。

「君がリーグに戻れば、案外あっさり動くかもしれないね」
「……ジムとリーグ、両方やれって?」

そんな時間ねえよと鼻で笑うと、ワタルは笑って釘を刺した。

「そういう話じゃないよ」
「大体、ジムに君が居なくても、回ることは実証済みじゃないか」
「……」

黙っていると、ワタルは小さく笑ってからこちらを見た。

「何かあれば連絡してくれ」
「まあ、君たちにそんな心配はしていないが」

それだけ言って、去っていった。


レッドが消えて半年。
グレンじまが、消えた。
火山が噴いて、町がひとつなくなった。
焦げた匂いが、しばらく取れなかった。

できることなんて、ほとんどなかった。
島にいた人の逃げ道を作るだけで、精一杯だった。
空から見た景色が、焼き付いている。

その帰り、山へ向かった。
もういい。
負けでいい。
あいつを、下ろす。

ピジョットから降りる。
いつものようにボールに戻そうとしたのに、戻ろうとしない。

「戻れ」と口で言おうとした瞬間、ピジョットは空へ舞い上がった。
何度も旋回して、やがて降りてきた。
そのままじっと、こっちを見てくる。
それから、山頂の方へくちばしを向けた。
つられて、その先を見る。

炎が、揺れていた。
赤い光が、雪の中で瞬く。
リザードンだ。
しばらくして、消えた。

視線を戻す。
ピジョットが、まだこっちを見ている。

――わかった。
そう伝えるよう頷くと、ピジョットはようやくボールに戻った。

その日は、そのまま家へ帰った。

それから、山を見るのをやめた。
あいつらがいるからだ。
ピジョットに物資だけ渡して、報告だけ聞く。

おれが行かなくても、なんとかなる。
何かあれば、きっと伝わる。


居なくなって三年。
レッドは、まだ降りてこない。



ある日。
黒と黄色の帽子をかぶったトレーナーが来た。
ヒビキ、と名乗った。
人の良さそうなやつだった。
けど、勝負のときだけ目が変わる。
率直に言うなら、あいつによく似てた。

バッジを渡す。
そいつは、そのまま山へ向かった。
シロガネ山。

しばらくして、また顔を出した。

「こてんぱんにやられましたぁ!」

半泣きでそう言っていたのに、ここ最近は、

「あとちょっとで勝てそうです!」

と同じ口でそう言っている。
呑み込みが、異様に早い。
思わず舌を巻いた。

まあ、あいつが相手ならな。
今日も、たぶん戦ってるんだろう。
何気なく、山の方を見る。
めずらしく、頂上が晴れていた。

「……見えるかもな」

窓越しに目を細める。
その時、ピジョットのボールが大きく揺れた。

「なんだよ」

苦笑して、裏口へ回る。
出してやるかとボールホルダーに手をかけて、何かが横を抜けた。
一瞬、目で追う。
黄色。

「……」

手が止まる。
見覚えのあるしっぽだ。
三年ぶりでも、間違えるわけがない。
足元に戻ってきたそれを、抱き上げる。

「ピッ!」

短く鳴いて挨拶した後、すぐにそいつは腕から抜け出した。
その先を目で追う。

いた。
赤い帽子。

少しだけ背が伸びている。
服の丈が、前より短い。
けど、あの目は、変わってない。

こっちを見た。
言葉は、いらなかった。
ボールホルダーに、手をかける。
中で、早く出せと揺れている。

――わかってる。

「……来いよ」

三年越しの勝負が始まった。



勝負は、引き分けだった。

互いに速攻を仕掛けて、気づけばジムの周りはひどい有様になっていた。
当然のように怒られる。
その隣で、レッドは姉ちゃんに叱られていた。

「どれだけ心配したと思ってるの!」

ざまあみろと思った。

一通り怒られたあと、スコップを押し付けられる。
黙々と地面を埋めていると、隣でレッドがなんも考えてない顔でつぶやいた。

「……山でやれば怒られなかったのに」

思わず、スコップから手を放して、一発ぶんなぐった。
目を白黒させているレッドに、ずっと思ってたことを言ってやった。

「ジムでやれば怒られなかったんだよ!」

ここ最近で一番大きな声が出た。
レッドは、しばらく瞬きを繰り返してから。

「……そういうこと?」

ようやく気づいた、みたいな顔をした。

三年前。
あの場所に居続けるわけにはいかないと思って。
オレなりに出した答えが、これだった。
レッドは、別の答えを選んだけど。

それが極寒の山なのが、こいつらしい。

「バカかよ」

小さく呟く。
……まあ、言わなかったおれもバカか。

レッドは言い返してこなかった。

そのまま、何も言わずに作業を続けた。
片付けが終わって、若干嫌がるレッドを引きずって家に連れ帰る。

おばさんは、いつも通りの顔でレッドを迎えた。
じいさんのところにも顔を出して。
そのあと、また戻って。
気づけば、四人で夕飯を食べていた。

レッドが、山の話をする。
知ってる話もあれば、初めて聞く話もある。
どれも、妙に楽しそうだった。

「……ほんと、何でも楽しめるな」

思わず、そう思う。
代わりに、おれの話もしてやる。
他の地方の話。
見たことのないポケモン。
レッドは、わかりやすく食いついた。
変わってないな、と思った。


その夜、レッドはまた旅に出ると言った。
まあ、あいつらしい。

翌朝、旅立つ前、何か言おうとしているように見えた。
けど、何も言わずに、そのまま空へ上がっていった。

背中が、小さくなっていく。
もう姿が見えなくなった空から、視線を外した。

ジムの方へ歩き出す。
あいつはたぶん、三年分、取り返してくる。
見たもの全部、いずれ、持って帰ってくる。

だったら。

「……場所くらい、残しといてやるよ」

誰に聞かせるでもなく、そう呟く。
それと、負けてられないな、と思った。
少しくらいは、こっちも用意しとかないと。

空を見上げる。
もう、姿は見えない。

――次は、どっちが勝つか。

口の端が、少しだけ上がった。




追記

次は一緒に

「明後日、オレんち集合な?」
いつもの短いメール。
送り主は、あの幼馴染。

「いいよ」
それだけ返して、荷物をまとめる。
今いる場所からなら、ちょうどいい。
……たぶん、あいつもそれを分かってる。
少しだけ気に入らなくて、予定より早くマサラへ向かった。


「よお、レッド。思ったより早かったな」
ドアを開けた顔を見て、思う。
――やっぱり分かってたな。
テーブルの上には、湯気の立つお茶が二つ載っていた。

無言で荷物を押し付ける。
「はい」
「珍しいな。……あ、これ美味いやつじゃん」
頷く。
向かい合って座る。
いつも通りの時間が流れる。

「お前どこ行ってたの?」

そこからは、いつものやつ。
あいつが話して。
こっちも話す。
写真を見せて。
笑って。
気づけば、外は暗くなっていた。
どこかから、夕飯の匂いがした。
多分僕の家だろう。

あいつが立ち上がる。
——終わりの合図だ。
テーブルの上に広げたもろもろを、一緒に片付ける。
何も言わなくても分かる。

ドアの前に立つ。
「僕ん家くる?」
「今日はじいさんと外出る」
「そっか」
「おばさんによろしく」
「うん」

ドアに手をかける。
そのとき。

「……なあ」

いつもと違う声に、思わず振り返る。
少しだけ、間があった。
「お前さ」
珍しく言い淀む。
「次、どこ行くか決めてる?」

一瞬、言葉が出なかった。
「……決めてないけど」
なんとか答えた。

あいつが、こっちを見る。
まっすぐ。
少しだけ、息を吸ってから、言い切った。

「……次は、一緒に行くか?」

差し出されたのは、チケット。
行き先なんて、見なくてもよかった。
顔を上げる。
同じ顔をしている。
思わず、笑った。

「……行く」

力強く頷くと、あいつも昔みたいな顔で笑った。

おわり

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ポケモンボックス②

ポケモンボックス②

下山後想定の話。
ポケモンボックス①をまじめに妄想したやつ。

自分のボックスに、捕まえた覚えのないポケモンが6体、並んで入っていた。
よく見知った顔だった。何度も何度もバトルした顔ぶれたち。
ボールから出してみたら案の定、腐れ縁のあいつの手持ち達だった。

ポケモンセンターの前で大人しく6体並んでぼくの指示を待つ彼らに、どうして自分のボックスにいたのかと聞いてみた。
けれど、誰もぼくと目すら合わせようとしない。
気不味そうに目を逸らすばかりで、教えてと強めに命令しても一向に教えてくれる様子はない。
ものすごく嫌な予感がした。

ピジョットに道案内を頼み、できる限りの速さで飛んで帰る。
口に出して伝えたことはないけれど、もしも自分になにかあったら手持ちは全部あいつに託すつもりだった。
ぼくが考えることは、あいつも考えそうなことだ。
最悪な予感に囚われたまま、無限とも思えるほど長い時間を飛び続ける。
実際は半日くらいだろうか。
ようやく地面に降り立ったとき、あたりはもう真っ暗だった。

降り立った先はトキワジムの裏手だった。
てっきり彼の家に案内され、そこで残酷な事実を告げられるんだろうなと思っていたぼくは、少し面食らった。
ジムにみんな集まっているのだろうか?とジムの方を見やるも、真っ暗で中に人がいる様には見えない。
本当にここで合ってる?と、ここまで運んできてくれたピジョットに目をやると、なぜか嬉しそうに一鳴きして、ぼくを飛び越えて飛んでいく。
慌てて行き先を目で追うと、片手を上げて歩いてくる人影があった。

「よぉーッ!
意外と早かったじゃねえか、レッド!」

羽音が向かった先には、手持ち達の本当のご主人がいた。
夜闇の中をしっかり歩くその人影。
ちゃんと足もついてるし、どこかケガをしている様子もない。元気そのものだ。
ピジョットがその横に降り立つと、手元のボールから次々と手持ち達が飛び出し、彼の周りに集まっていく。

「グリーン……」

「……お前たちご苦労様!悪かったな。
あとでご褒美やるからな!
ピジョットも偉いぞ!あれ?
なんか濡れてんな、後で毛繕いしような」

「グリーン!」

「……っと!なんだよ!レッド!」

手持ちを一体ずつ労う彼は、こちらを胡乱な目で見ていた。
とにかく言いたい事が山ほどあって、何から言ったらいいのか分からなかった。
黙っていると、彼は少し気まずそうに頬をかきながらこちらに近づいてくる。

「……ボール」

手の届く距離まで近づいてきた彼の言葉に従って、ボールホルダーに手をかける。
とっとと外して投げ返してやりたかったのに、手が震えて思う様にいかない。

「……外すな?」

一向にボールを外せないぼくに焦れたんだろう、彼はバツが悪そうに目を伏せながら自分のボールをぼくのホルダーから回収した。
ボールを回収した後、手持ち達を次々とボールに戻していく。
その横顔をじっと見ていると、その視線に気付いた彼は、一瞬こちらを見て、何か言いたそうにした。
結局彼は手持ちを戻す間、何も言わなかった。
全てを戻し終えてようやく、彼はその重い口を動かした。

「……悪かったよ」

ぼくに聞かせる気なんてない、小さな声で告げられたそれに、ふざけるなと思った。
……悪いと思ってるなら、どうしてこんなことをした。
ここにくるまでの間ずっと、冗談であってくれと願い続けてきた。
それと同時に、こんな冗談に大事な手持ちを使うような奴じゃないと知っていたから絶望していたのに。

「……なんでこんな事したの」

自分の思っている数倍低い声が出た。
彼は急に声を発したぼくに一瞬驚いた様だったけれど、ぼくが怒っていることを見て取ると、少し苛立った様子でこちらを見た。

「……一週間後はなんの日だよ」

「一週間後…?」

予想外の問いかけに思わず聞き返す。
彼はそれが気に食わなかったのか、腕を組んでこちらをにらんでくる。
いらだちを隠す様子もない。

「……おばさんの誕生日だよ!」

しばらくの沈黙の後、彼はため息交じりに正解を教えてくれた。
そのまま言葉を続ける。

「……今年の誕生日は帰ってくるかなって、おばさんと話してたんだよ。
そしたらさ、おばさんさ、もしレッドが帰ってきたら天変地異が起こるわねって、笑ってたんだよ。寂しそうにな。
思わずオレ、今年の誕生日プレゼントはレッドにするって言っちまってさ。
……だから、帰ってくる可能性が一番高い方法を取った」

実際、帰ってきたもんな?と彼は肩をすくめながら言った。

「だからって…!」
やっていいことと、わるいことがある。


「……離せよ」

気づいたら彼につかみかかっていた。
ぼくがどれだけ肝を冷やしたか、ここにどんな思いで来たのか。
こんな方法取らなくても、連絡を取る手段を君なら思いついたんじゃないのか。
言いたいことは山ほどあるのに、言葉にならない。
喉の奥にはりついたみたいだった。

「っ!ぼくが!どんな思いで!」

なんとか声を出す。
どれだけ死にそうな思いでここに来たか、君は分からないからこんなことができたんだ!
そう告げてやるつもりだった。

「お前が言うなよ…っ!」

目の前の彼が、鋭い声を上げた。
静かな夜の街に響いたその言葉が、頭の中に反響する。

「普段、人にさんざん心配かけておいて、自分がする側になったら怒るのかよ?なあ!」

言い返せなかった。
彼の目にかかった前髪の向こうから、険しい目がこちらを射貫いていた。
胸の奥がぎゅっと縮まる。
目の前の彼の視線が、山を下りた日を思い出させる。
あの日は、ひたすら色んな人に心配したんだからと怒られた。みんな、今の彼みたいな目をしていた。来る人来る人に叱られていく僕の隣で、彼は僕が怒られている様を見てバカみたいに笑っていた。
だから、彼はぼくのことを心配してなかったんだと思っていた。
そう思っていた自分が、どれだけの心配を彼にさせていたか——わかった気がした。
ぼくが思うことは、彼も思うに決まっていた。
ただ、彼はそれを言わなかっただけだった。

「……もういい」

ため息交じりに彼はつぶやき、力の抜けたぼくの手を振りほどく。
くしゃくしゃになった上着を整えながら、彼は続ける。

「説教するために呼んだんじゃねえし。
 おばさんの誕生日には顔出せよ、じゃあな」

こちらを見ずに、彼は短くそう告げる。
元来た方へ歩き出す彼を見て、自然と声が出た。


「連絡しなくて、ごめん」

「心配、かけた」

「……次は、行き先伝える」


本当はもっと言葉をつくすべきなんだろう。
でも、この時のぼくにはこれが精いっぱいだった。

「……おばさんに言えよ、それは」

彼は背を向けたまま、ぶっきらぼうに答えた。
ただ、その場で立ち止まってはくれている。
ぼくは、数歩先にいた彼の隣まで歩いた。

「……そうする」

ぼくがそう言うと、おばさん驚くだろうなと言って彼は小さく笑った。畳む
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